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交通事故にあった友人に付き添い、大変だけどいろいろ考えさせられた

一般

突然の事故に備える難しさ

同級生の夫の話。
2年前に急死し義理の両親とは離れて住んでいた彼女。
母親の助けを借りながら彼女は一人で2歳の子の世話をし暮らしていた。

彼女とはあまり連絡をとっていなかったが何年も前に彼女の子供が保育園に入園。
彼女にとって生活を続けるのは簡単ではないと感じ、家の近くの役所から支援を受ける手伝いをすることに。
彼女は大学院を卒業し国有企業で金融の仕事をしておりリスク管理と数理計算に長けていた。

ある日の朝7時、電話があり家の近くで車にはねられて大けがをしたとの電話。すでに通報済み。
一緒にいる赤ちゃんの世話をするために現場に行ってと頼まれる。すぐに駆けつけた。
駆けつけたとき彼女はすでに担架に乗っていた。私はその子を抱えて救急車に乗り込んだ。赤ちゃんにけがはなかった。

赤ちゃんを保育園に送るために電動スクーターに乗っていたところ、急に怖くなり震えて泣き続けてしまう。
赤ちゃんを抱きしめたまま落ち着くことができなかった。

彼女は子供を守るため「ふくらはぎの腓骨を骨折・肋骨を骨折・顔に血腫」を負った。
ヘルメットを着けていたため頭の怪我は大丈夫だ。
精神状態はとても良く落ち着いていて、痛みで泣く以外はしっかりしていた。

「彼女の母親に電話・保険会社に事故を報告・レスキュー隊に写真をお願いしたり」とずっと手続きを続けていた。
検査に付き添ったが命の危険もあったため、病院の救急科から整形外科に転院。

整骨の際に医師に頼まれ私は彼女の肩を押すのを手伝い、彼女は私の手首をつかんだ。
医者が彼女を引っ張った瞬間、彼女が倒れたのをはっきりと感じた。
痛みかもしれないし恐怖かもしれないが叫び声で鼓膜が痛くなり、手首がひっかき傷で傷だらけに。

彼女は泣き始めまるで肋骨の骨折による痛みを感じていないかのように暗闇の中で30分近く泣き続けた。
その後、鎮痛剤を飲んで寝てしまったようで私たちもコロナのため避難。母親が世話をしてくれた。

彼女の母親は去る前に私に感謝し続け、心の中で泣いているのを見るのはとても不安だったと言った。
彼女が何を考え心配し恐れていたのか、交通事故が起こってから眠りにつくまで私には推測するのが難しい。

退院後、彼女もこの出来事を忘れていたよう。
私が通っていた病院の入院費の前払いで行った検査を思い出しとても感謝してくれた。

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